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レセプション

先日、ご縁があって落合陽一さんの写真展"晴れときどきライカ"のレセプションパーティーなるものに顔を出した。





35歳にして初のレセプションパーティー。



レセプションパーティー??




レセプションパーティーでググろうかと思ったけど、一回コナン君で見たことあったから、あんな感じかと想像。服装も同行者に尋ねず、一か八かフォーマルとカジュアルの間の感じで行こう。



サマージャケットなるものをクローゼットに持ち合わせてなかったので、春秋用のジャケットをあっつい中汗を滲ませながら東京メトロで向かう。






同行者と待ち合わせ。




「おまたせ!」




やはり!







幼少期の記憶が正しかった。

同行者も34℃の銀座で長袖のジャケットだ!ビンゴ!!




そのまま会場へ。

入り口に着くと、品のある女性と何やら罫線の引かれた紙と筆ペン。


これもコナン君でみたことあるんやで!


「記帳」だ!!




ありがとう青山剛昌先生!!あなたのおかげでスマートに記帳できました!





会場には、品のあるおじさんおばさん、有望なアーティストっぽい同世代が挨拶合戦を繰り広げている。

名刺がインターチェンジの早送りを見てる感じで飛び交っている。こんな場所で経済は動くのか。


(余談!毎回名刺もらうたびに思うんだけど、LINE交換とかで良くないですか?ならわしを大事にする日本の悪い部分だよね!面倒!)




お盆にグラスをたくさん乗せた蝶ネクタイ、ベストの女性が近づいてきて、


「お飲みものは如何でしょう??」


「頂きます」


「3種類ございまして、右から〇〇の天然水、ペリエ、エーデルフラワーウォーターとなっております」


「これにします(全部水じゃねえか!!!!!!)」



お盆に何やらカラフルな小さい四角をたくさん乗せた超ネクタイ、ベストの男性が近づいてきて、


「お食事はいかがでしょう??」


「いいですか(なんじゃこれ!親指の爪くらいの四角に緑やら茶色やら赤やら乗ってる!?そんな綺麗に並べて!?何味なんじゃワレ!しょっぱいのかい?甘いのかい?どっちなんだい?そもそも爪楊枝がないから手でたべるんかい?)」


パクリ


「お口に合いましたでしょうか」


「はい!美味しいです(甘いんかい!!!!!)」



とても良質なイチャモンが集められました。




さてさて本題です。大人数の上品おじさんおばさんをかき分けて、落合さんの素敵な写真を見させて頂きました。素敵な写真。ライカの黒が映えているわね。



まあ展覧会のはじめには、ちょっとした文章が書いてあるものです。作者の意図だったり、背景だったり、展示者の意図だったり、


読んでから、また作品を見ると2度美味しいの。読みましょう。読みましょう。



拝読。



は???



何回文字を咀嚼しても、入ってこない文章。



僕の国語力と落合さんの国語力が果てしなく乖離している。




それでは皆様、自分の国語力と対峙して、落合さんの文章をお楽しみください。



“ 逆たかり行動”(Contrafreeloading)という概念は,動物が食べ物を手に入れようと何らかの活動を行う姿を描くものだ.今回の展覧会はその「逆の逆たかり行動」に着目している.それは猫のように逆たかり行動を持たない生き物を通じて,「質量に固定した日常」から自由なデジタルデータが,物化のプロセスを繰り返す姿を描く試みだ.これは無為計算機自然の元で逍遥遊に振る舞っている姿を描き出す.

“ 晴れときどきライカ” というフレーズは私の日常を描き出している.晴れた日には,ライカを通じて計算機自然の微細な動きを捉え,その物質的な美しさをデジタルの世界へと移す.反対に,雨の日には閑居し,デジタル世界を読み込み,そこから得た情報を肉体の世界に適用する.この一連のプロセスの中で,私は閑雲野鶴の如く,物質と非物質,生命と非生命の間を自由に行き来し,それぞれの世界で得た感覚を融合させ,新たな表現領域を切り開く.

私の人生に常に付随するダダの精神は,無秩序で非論理的な表現を通じて新たな相互接続性を生み出すことを目指している.逆逆たかり行動の精神は,私たちが日常的に直面する二元性の問題に対する新たな視点を提示する.この多元的な世界で,全ては曖昧に相互接続し,実在・非実在に関わらない全てのものたちが,交錯するその響きの中で物化を繰り返し,微睡を生み出していく.猫のように,きのこのように,そして遊牧民のように

(引用:落合陽一『晴れときどきライカ』より)




如何でしたでしょうか。





Googleとタッグを組んで4周してようやく輪郭が見えてきました。






そら、落合さんなんかの脳内わかんないよね。














て!!調べたら、この人わしと生まれた日一年も変わらんやんけ!なんじゃ!

これくらいの文章書けるんちゃうか。

これくらいの文章書いてやろうじゃないか。







般若心経の解釈は往古来今、多岐にわたるが、その本質は「三千世界すべてが"空"である」ということに起因していると感じる。釈迦が軟膏を塗るごとく仏教世界に染み込ませたこの仏教の基本理念は我々日本人の深層心理に刻まれている。それが近年、ことエンターテイメント業界では、猿天性を保ちつつも、パラダイムシフトを起こしているのだ。

ZAZYを名乗った当時はまだ赤井とZAZYは表面上の不可逆性を保ち、自らZAZYのアイデンティティの構築に勤しんでいた。しかしここ数年のSNSの台頭により、エンターテイメントの不可侵領域が侵されることで、般若心経の"空"派生する着色の余白がなくなり、 赤井俊之とZAZYのバリアーが崩れている。

この事実を嘆くことは容易だが、それはZAZYも赤井も両者目的としていることではない。それこそこの世界が"空"であるからこそ、僕自身の新天地を、空間があるからこその余白、その宇宙の外側に創造していきたい。グランドラインを制覇して海賊王になるルフィ的思想ではなく、無の上にグランドラインを構築するのだ。NASA≠ZAZY、ルフィ≠ ZAZY、尾田栄一郎≒ZAZY。

これこそが僕の内包する赤井、ZAZYの真の聯立であり、 結果ZAZYという軟膏を世に浸透させれるだろう。釈迦が般若心経を説いたあの日のように。


( ZAZY ZAZYときどき赤井)






では!また!






あ !

ZAZZをもう少し気軽に更新していきたいけども!みたいなことを我が吉本興業の優秀な社員さんに伝えたら、会員限定のインスタをつくってくれました。

頻繁に更新するつもりではいるので、更新が安定したら友達のZAZYファンに ZAZZいい感じだよ!と勧めてあげて下さい。

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